古いお屋敷好きの私。またまたすてきな建物に出合ってしまいました!
モザイクタイルの美しい玄関を通り、案内されたのは「使者の間」と呼ばれる和室。外観はレンガを使った洋風建築なのに、中に和室がある和洋折衷のつくりは、私たちが住んでいる現代の住宅にも似ているような…。
ここは岡崎市の東公園の一角にある「旧本多忠次邸」。1932(昭和7)年、36歳だった忠次が東京・世田谷に自ら設計して建てた邸宅です。フランス瓦の屋根にモルタル壁の洋風建築で、国の登録有形文化財にも指定されています。銀行やホテルで保存されている近代建築は数多くありますが、個人の住宅でこれほど大切に残されているものは珍しいそうです。
忠次は徳川四天王として名高い本多忠勝の子孫で、岡崎藩最後の藩主、忠直の孫にあたります。99(平成11)年に103歳で亡くなるまで暮らしたこの邸宅は、途中GHQに接収されるなど歴史に翻弄(ほんろう)されますが、改築をしてくれるなと直訴の手紙を忠次自らが書いて(この手紙も展示してあります)守ったほど、愛情のこめられた建物です。
館内を学芸員の中野敬子さんに案内してもらいました。ステンドグラスの美しい食堂やモザイクタイルをふんだんに使った浴室、庭仕事が好きだった忠次が庭から直接入れるようにとつくった浴室の扉。奥様の部屋には、アーチ状に庭に張り出した日光室もあります。建築当時はまだ独身だったと聞くと…忠次の家庭に期待する甘い夢が見えてくるようです。
世田谷にあったこの家の寄贈申し出が本多家からあり、忠勝のふるさとである岡崎市が手を上げました。2001年に受託し、市民ワークショップなどを重ねて保存地を選定、09年から復元工事に着手して12年に開館しました。
復元に際しては元の部材を最大限生かしましたが、足りないところは新しくつくらないといけませんでした。意匠のポイントとなるモザイクタイルは常滑で、瓦は高浜でと、幸い地元に産地がありました。しかし漆喰(しっくい)職人がいなくて、天井の漆喰細工などは特に苦労したそうです。「ここは元の邸宅の部材、ここは新しくつくりました」と中野さんの説明を聞きながらめぐっていくと、職人さんの苦労が感じられました。この家が復元されたとき、中野さんは「お殿様が岡崎に帰ってきた!」と感じたそうです。忠次が愛したこの邸宅が、岡崎の皆さんに長く愛されたらいいなと思いました。
入館無料ですが、10月30日(日)まではガラス器と花をかざった「アール・デコの煌(きらめ)き ルネ・ラリック展」を開催中で、一般300円、小中学生150円が必要です。月曜休館、開館時間は9:00~17:00。入館の際に声をかければ案内してもらえます。
ふかや・りな 岐阜県多治見市出身、名古屋芸術大学声楽科卒業後、1996年から東海ラジオアナウンサー。毎週月〜金16:00〜17:45に「山浦・深谷のヨヂカラ!」を担当。本コラムをラジオでお届けするコーナー「エコヂカラ」は11月2日(水)17:17ごろからの予定!